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社会福祉の歴史イギリス篇!年号語呂合わせ&出題ポイント解説☆

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保育士試験「社会福祉」では、「社会福祉の歴史」について1問程度出題されています。

今日の「社会福祉」は、「社会福祉がなかった時代」から人々が獲得してきたもの。

そして、今日のような「社会福祉」が行われるようになったのは、意外と最近なのです!

「社会福祉とは何なのか?」「いつどこでどのようにして獲得された概念なのか」考えながら学習すると、理解しやすいですよ♪

「社会福祉」とは?

「社会福祉」とは何なのでしょうか?

「福祉」は、「しあわせ。幸福。特に、(公的扶助による)生活の安定や充足。また、人々の幸福で安定した生活を公的に達成しようとすること。」を意味します。(Oxford Languagesより)

英語では「welfare」「wellbeing」と表現され、「よりよく生きる」という意味を持ちます。

このことから、「福祉」は、「皆が幸福に生きるための社会による援助」と考えられます。

日本国憲法第25条

日本の法律では、まず「日本国憲法第25条」に「社会福祉」の語が出てきます。

日本国憲法 第25条 〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕

  1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法第25条は、国民の「生存権」を規定。

そして、国民の「生存権」を守るために、「国の責務」として「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」を挙げています。

〈〇×問題〉H30前期 社会福祉問2より

「日本国憲法」第 25 条第2項では、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上及び増進に関する国の責務が記されている。

正答:

社会福祉法第1条

社会福祉法第1条には次のようにあります。

社会福祉法 第3条(福祉サービスの基本的理念)

福祉サービスは、個人の尊厳の保持を旨とし、その内容は、福祉サービスの利用者が心身ともに健やかに育成され、又はその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように支援するものとして、良質かつ適切なものでなければならない。

「福祉サービス」の対象は、「全国民」ではなく、「福祉サービスの利用者」です。

日本の福祉サービスは、「子ども」「障害者」「高齢者」といった「福祉ニーズ」のある人を対象としています。

「社会福祉」の歴史!イギリス篇前編(語呂合わせも)

現代のような「国家が行う社会福祉」は、日本では80年ほど前から整備されてきました。

「国家が行う社会福祉」は、恒久的なものではなく、実は歴史が浅いんですね。

そんな「社会福祉」ですが、発祥した国は「イギリス」。 日本の社会福祉は、海外の「社会福祉」の概念を少しずつ取り入れて発展してきました。

今回は、「社会福祉」の発展を、イギリスを中心に解説していきます。

16世紀:宗教改革により浮浪者が増える

イギリスではもともと、貧民や捨て子を修道院が救済していました。

しかし、16世紀の宗教改革の影響で、貧民や捨て子を修道院で救済できなくなり、浮浪者があふれかえります。

1598年には、「浮浪人乞食処罰法」が出され、浮浪・乞食は禁止に。

浮浪者や乞食は処罰され、強制労働が課せられました。 すきで浮浪者や乞食になったわけでもないのに、処罰されるなんて・・・酷ですね( ゚Д゚)

うぱみ
うぱみ
上記のことは出題はされませんが、こういった時代背景があったことを知っていると、この後のことが理解しやすくなります。

1601年:エリザベス救貧法

1601年、イギリスでは貧困者を救済するため「エリザベス救貧法」が出されます。

◎語呂合わせ◎ クイーンエリザベスロ~イヤル救貧法エリザベス救貧法、1601年)

6(ろ)0(お)1(い)やる」な救貧法。

イギリスでは「Poor Law」というようです。

当時は、エリザベス1世の時代でした。

なので「エリザベス救貧法」と日本では呼ばれています。

「エリザベス救貧法」では、救済の対象を「無能貧民」「有能貧民」「貧民児童」と分類しています。

無能貧民:プアハウスへ

「無能貧民」は、「働くことのできない貧困者」をいい、「老人」や「身体障害者」を表します。

もう本当に、働こうにも働けない人!って感じですね。 無能貧民は、救貧院(プアハウス)に送られました。

有能貧民:ワークハウスで強制労働

エリザベス救貧法では、「労働能力」のある貧民(有能貧民)には「ワークハウス」での強制労働を課しました。

このワークハウスでの強制労働者には賃金が支払われていましたが、その賃金はとても低いものでした。

というのも「独立して働く者の処遇を上回ってはいけない」という決まりがあったからです。

「何とか仕事をして頑張って働いている人」よりも、「強制労働の貧民」の方が給料が良かったら、おかしい!ってことなんでしょうね。

貧民児童:徒弟に出す

「働ける」ならば、「子ども」にも労働を課しました。

親のいない子供や、親が養えない子供は、「徒弟制度」といって、親方のもとに修行で出されました。

過去問

〈〇×問題〉H30前期 児童家庭福祉問2より

1601 年にイギリスで成立した「エリザベス救貧法」では、子どもは、有能貧民、無能貧民とともに保護の対象であることを示した。

正答:

有能貧民の子どもの場合、「保護」の対象ではありますが、その「保護」には強制労働も含まれていたようです。

うぱみ
うぱみ
 
この「強制労働」システムは、約200年続きましたが、イギリスは豊かになったのでしょうか?

1795年:スピーナムランド制

1601年にエリザベス救貧法が出され、労働能力のある貧困者にワークハウスでの労働を強制した結果、工場労働者は増加しましたが、労働条件は悪化、貧困層も増加していきました。

そこで1795年にバンクシャー州スピーナムで、「スピーナムランド制」が出され、全国へと広がっていきました。

スピーナムランド制では、労働者の最低賃金を国が負担することになりました。

世界で初めて「最低賃金」という考えが生まれました。

非人道的な「ワークハウス」での強制労働に代わり、ワークハウス以外(院外)で救済する取り組みも行われました。

うぱみ
うぱみ
これで貧困者の労働環境が改善したか、というと・・・

「国が負担する」ということは、税金で負担されているということ。

財源は「土地保有税」だったため、貧困者への公的扶助の財源を、貧困者以外からとっていることになり、批判が殺到したようです。

1834年:新救貧法

「スピーナムランド制」への批判の高まりをうけ、イギリス政府は「スピーナムランド制度は大失敗だった」という旨の報告書を作成。

スピーナムランド制は廃止され、「新救貧法」が出されました。

◎語呂合わせ◎ しい馬刺し救貧法新救貧法、1834年)
18世紀は、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言が出され、欧米では人々が「自由」という権利を獲得していった時代でした。
ここでいう「自由」とは「国から干渉されない権利」を表します。
そのため、「貧困」も「個人の自由の結果」とされ、「国家による貧困の救済」は「国からの干渉」と考えられていました。
「自由」の名のもとに経済的に豊かになった人たちが、「我々の税金で貧民を救うなんて国家の干渉だ!自由に反する!」と声を上げ、その声の方が勝ってしまったんですね・・・。

新救貧法の3原則

新救貧法の原則は、
  1. 【均一処遇】貧困者に対する処遇を全国一律に
  2. 【院内保護】救済は施設内のみ(ワークハウス以外での労働は禁止)
  3. 【劣等処遇】救済の水準は、独立自活している最低階層の労働条件よりも下にすべき
となっていました。
うぱみ
うぱみ
スピーナムランド制以前の「エリザベス救貧法」時代に戻っていますね( ゚Д゚)
 

新救貧法は、有能貧民に劣悪な労働条件での強制労働を課したことにより、「有能貧民にならないようにしよう、貧しくても独立自活しよう」と貧民を奮い立たせるという意図があったようです。

過去問

〈〇×問題〉R5後期 社会福祉問2より

「新救貧法」(1834(天保5)年)では、窮民の援助は、最下層の労働者の生活以下にとどめ、働ける者には強制労働を課した。

正答:

うぱみ
うぱみ
「社会福祉の芽生え」といいつつも、「福祉国家イギリス」とは思えないような300年間でしたね

1869年:COS運動

国による救済事業は期待できない・・・ということで、19世紀中ごろから裕福な資本家などにより、個々に慈善事業が行われるようになります。

しかし、「個々に慈善事業」を行ったことにより、不正受給(濫救)や救済漏れ(漏救)といった問題が起こりました。

そこで、1869年にロンドンで慈善組織化運動(COS運動)が始まります。

◎語呂合わせ◎ コスロック慈善運動COS運動、慈善組織化運動1869年)

コスプレは嫌!ロックがいいの!!な語呂合わせ。

COSは「Charity Organization Society」の略です。

友愛訪問員の家庭訪問は、ソーシャルワークの先駆けに

「友愛訪問員」と呼ばれるボランティアが、家庭訪問を行い、支援の必要な家庭を把握することにより、不正受給(濫救)や救済漏れ(漏救)を防止しました。

神学者チャルマーズが1819年から行った隣友運動が元になっています。

COS運動の活動は、今日のケースワーク(個別援助技術)、コミュニティケア、アウトリーチなどのソーシャルワーク(社会福祉援助技術)のもとになったと考えられています。

過去問

〈〇×問題〉R6前期 社会福祉問2より

イギリスの COS(慈善組織協会)の創設は、都市に急増した貧困者、浮浪者等に対する慈善の濫救(らんきゅう)、漏救(ろうきゅう)を防ぎ、効率的に慈善を行う意図があった。

正答:

アメリカでもCOS運動が起こる

イギリスではじまったCOS運動ですが、アメリカでも行われるようになります。

20世紀の初め、リッチモンドが「ケースワーク(個別援助技術)」を科学的に分析・体系化。初めて実践理論化しました。

1922年にメアリー・リッチモンドは、著書「ソーシャル・ケースワークとは何か」において、「ソーシャル・ケースワークは人間とその社会的環境との間を個別に、意識的に調整することを通して、人格を発展させる諸過程からなっている」と定義しました。

このことから、メアリー・リッチモンドは「ケースワークの母」と呼ばれています。

過去問

〈〇×問題〉R5前期 社会福祉問2より

リッチモンド(Richmond, M.E.)は、ソーシャル・ケースワークを「人間とその社会的環境との間を個別に、意識的に調整することを通してパーソナリティを発達させる諸過程からなり立っている」と定義している。

正答:

セツルメント運動

19世紀の終わりごろ、まだ「貧困の原因は個人の生活や習慣」(貧困の改善は、社会の義務ではない)という考えが根強くありました。

そんな中、イギリスでは「セツルメント運動」が起こります。

「settle」は「住み込む」という意味。

「セツルメント運動」は、貧困が課題となっている地域に、宗教家や学生が住みこみ、住民と共に生活改善を行う活動を言います。

この拠点を「セツルメント・ハウス」(隣保館・りんぽかん)といいます。

セツルメント運動は、ソーシャルワークの援助技術の一つ「グループワーク(集団援助技術)」の先駆けとなりました。

うぱみ
うぱみ
セツルメント運動は、COS運動と同時期に起こっていますが、別の運動です。

イギリス:バーネット夫妻がトインビーホールを設立

ロンドンでは、1884年にバーネット夫妻がトインビーホールを設立しました。

オックスフォードやケンブリッジの学生が住み、貧困者の生活改善を支援しました。

◎語呂合わせ◎ バネとええ(良い)ホールバーネット夫妻、イギリス、トインビーホール

このトインビーホールは、最初のセツルメントハウスで、のちのセツルメント運動のモデルとなりました。

アメリカ:アダムズがハル・ハウスを設立

ジェーン・アダムズは、女性活動家。

ロンドンのトインビーホールを見学した後、1889年にアメリカ・シカゴに「ハル・ハウス」を設立します。

◎語呂合わせ◎

アダムズの家は貼るハウス

アダムズアメリカハル・ハウス

ハル・ハウスでは、児童労働の防止など児童福祉に関する取り組みも行っていました。

のちにアダムズはノーベル平和賞を受賞しています。

日本:片山潜がキングスレー館を設立

片山潜(せん)は、アメリカに留学したとき、セツルメント運動に出会います。

セツルメント運動に共感した片山潜は、キリスト教宣教師の支援を受けながら、神田にセツルメントハウス「キングスレー館」を設立します。

過去問

〈〇×問題〉R1後期 社会福祉問11より

セツルメント活動は、ロンドンのバーネット夫妻(Barnett,S&H)によるハル・ハウス、さらにはアダムズ(Addams,J.)の設立したシカゴのトインビーホールを拠点として展開された。

正答:×

  • 英:バーネット夫妻「トインビーホール」
  • 米:アダムズ「ハル・ハウス」
  • 日本:片山潜「キングスレー館」

この組み合わせをしっかり頭に入れておきましょう!

ミニテスト

ここまでの内容をミニテストで確認しましょう♪ うまく表示されない方はこちら(別ウインドウで開く)

「社会福祉」の歴史!イギリス篇後編(語呂合わせも)

COS運動はケースワーク(個別援助技術)の源流に、セツルメント運動はグループワーク(集団援助技術)の源流になっていきますが、当時のイギリス社会では、「貧困は個人の責任」と考えられていました。

しかし、19世紀末からは、「貧困の原因は社会」にあることが明らかになってきます。

イギリス篇後編を見ていきましょう♪

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