保育士試験・子ども家庭福祉の重要人物について、覚え方(語呂合わせ)を紹介します!
子ども家庭福祉で出題の多い人物は次の6人!
- 留岡幸助
- 石井十次
- 石井亮一
- 糸賀一雄
- 岩永マキ
- 池上雪枝
この6人は、明治~昭和の時代に、児童福祉施設を設立し、子どもの福祉に尽力した人物です。
子ども家庭福祉の重要人物について、児童福祉施設の歴史と共に、整理して覚えていきましょう♪
動画で学習♪
子ども家庭福祉の重要人物について、動画でも解説しています☆
子ども家庭福祉の超重要人物!ベスト3
子ども家庭福祉で最も出題の多い人物は、次の3名です☆
子ども家庭福祉でとくに出題が多い人物
- 留岡幸助(児童自立視線施設のモデルを作った)
- 石井十次(児童養護施設を運営)
- 石井亮一(孤児の女の子を養育→日本初の知的障害児施設)
この3人は、ほぼ毎回の試験で出題されています。
出題されるポイントは、それほど多くないので、覚えやすいと思います。
「6人も覚えるの無理~!ほかの科目でも人物いっぱい出てくるのに( ;∀;)」って方は、まずはこの3人を覚えましょう♪
留岡幸助(児童自立支援施設のモデルを作った)
留岡幸助(とめおか・こうすけ)のキーワードは次の通りです。
☆留岡幸助のキーワード☆
- 「家庭学校」を巣鴨に設立
- 私立の感化院(児童自立支援施設)設立
巣鴨家庭学校は、1899年、東京巣鴨に留岡幸助が設立した感化院です。
留岡幸助の設立した家庭学校は、翌年1990年制定の「感化法」のモデルになりました。
語呂合わせはこちら!
かってに感化でいいんですか?も~とめとこうか?
(家庭学校、感化院、巣鴨、留岡幸助)
「感化院」(児童自立支援施設)の歴史
「感化院」は、現在の「児童自立支援施設」にあたります。
「感化院」が「児童自立支援施設」になった流れも見てみましょう。
感化院の歴史
- 1990年「感化法」制定 ・・・感化院
- 1933年「少年保護法」 ・・・少年教護院
- 1947年「児童福祉法」制定・・・教護院
- 1998年「児童福祉法」改正・・・児童自立支援施設
1990年の「感化法」制定時には「感化院」と呼ばれていました。
1933年に、感化法が「少年保護法」に改正された際に「少年教護院」に。
第2次世界大戦後1947年に「児童福祉法」が制定された際に「教護院」に。
1998年「児童福祉法の一部改正」により、児童自立支援施設になっています。
石井十次(孤児院を運営)
「石井十次」は「石井亮一」と名前が似ていることもあってか、出題が多いです。
石井十次(じゅうじ)のキーワードはこちら!
☆石井十次のキーワード☆
- 「岡山孤児院」設立
- 地震や戦争などの孤児を養育
- 児童養護施設のモデルに
- 「愛染橋(あいぜんばし)保育所」設立
石井十次は「岡山孤児院を設立」だけ、しっかり覚えておけば大丈夫です♪余裕があれば「愛染橋保育所」設立、も覚えておきましょう。
石井十次の語呂合わせはこちら!
石の岡山、10時に孤児院
(石井十次、岡山孤児院)
石井十次の行った孤児救済事業
石井十次は、キリスト教徒で、孤児救済事業を行いました。
石井十次は、岡山孤児院、岡山孤児院尋常高等学校を設立。
濃尾地震の後、岡山孤児院に1200人の孤児を収容しました。
大阪のスラム街に愛染橋保育所を設立。貧困家庭の子供をあずかりました。
明治時代には社会福祉制度がなかったため、これらの施設は、キリスト教関係者から資金を募って運営されました。
また、現在の里親制度にあたる、委託制度を試みていました。
石井亮一(日本初の知的障害児施設)
石井亮一(りょういち)のキーワードはこちら!
☆石井亮一のキーワード☆
- 「聖三一孤女学院」設立
- 渡米し、知的障害児教育を学ぶ
- 「滝乃川学園」設立←日本初の知的障害児施設
石井亮一は、石井十次と同じ時代に活躍した人物。
石井十次とは血のつながりはないですが、出身(九州)や宗教(キリスト教徒)など、共通点が多いです。
濃尾地震後には、石井十次と共に孤児救済を行いました。
石井亮一の語呂合わせはこちら!
滝の川こちょこちょ医療一
(滝乃川学園、孤女学院、石井亮一)
孤女教育→知的障害児教育へ
この時、保護した孤女の中に、知的障害の女の子が2人いました。
日本では知的障害児への差別が強く、また知的障害児に特化した教育が行われていなかったことから、石井亮一はアメリカへ渡ります。
アメリカでは、ヘレン・ケラーなどから教育法を学んだそうですよ♪
石井亮一は、帰国後、「聖三一孤女学院」を「滝乃川学園」に改称。知的障害児の教育に当たりました。
施設名に「学園」がついたのは、「滝乃川学園」が初めてだったそうです!
子ども家庭福祉の重要人物
そのほか、子ども家庭福祉で出題される人物はこちら!
- 糸賀一雄(重症心身障害児施設)
- 岩永マキ(数百人の孤児を育てる)
- 池上雪枝(日本初の児童自立支援施設)
それぞれの人物について見ていきましょう♪
糸賀一雄(重症心身障害児施設)
糸賀一雄(いとが・かずお)は、留岡幸助・石井十次・石井亮一よりも約50年後に活躍した人物です。
☆糸賀一雄のキーワード☆
- びわこ学園(重症心身障害児施設)
- 近江学園(知的障害児・戦災孤児)
- 「この子らを世の光に」
糸賀一雄は、第二次世界大戦後の日本で、子どもの福祉と教育に尽力しました。
糸賀一雄の語呂合わせはこちら!
おう!ミノ糸が、枇杷の子らを世の光に
(近江学園、糸賀一雄、びわこ学園、「この子らを世の光に」)
近江(おうみ)学園
近江学園は、第2次世界大戦後の1946年に創設。
戦争孤児を収容するとともに、知的障害児の教育も行いました。
びわこ学園
1963年にはびわこ学園を創設。
重症心身障碍児施設の先駆けとなりました。
名言「この子らを世の光に」
糸賀一雄の名言として、「この子らを世の光に」という言葉があります。
これは、1965年に出版された著書「この子らを世の光にー近江学園20年の願い」の言葉。
恩恵的に光を当ててやるという意味の「この子らに世の光を」ではなく、自ら光り輝く存在であり、そのことを支えていくという意味で「この子らを世の光に」という言葉を遺しました。
岩永マキ(数百人の孤児を育てる)
長崎の隠れキリシタンで修道女の岩永マキ。
出題は少ないですが、令和5年から突然出題されるようになりました。
岩永マキのキーワードはこちら!
☆岩永マキのキーワード☆
- 浦上養育院(長崎市)
- 数百人の子どもを育てる
岩永マキは、現存する児童養護施設の中でも最も古い施設の創設者の一人で、千人近い数の孤児を育てたと言われています。
岩のウラには長い牧
(岩永マキ、長崎市、浦上養育院)
隠れキリシタンで孤児救済
岩永マキは、浦上修道院の院長として、修道院と養育院の経営をしていました。
養育院での児童の養育ははじめは孤児が中心でしたが、次第に貧困児童が中心になりました。
浦上養育院で育てた孤児は約500名、岩永マキが自らの戸籍に入れ「岩永姓」を名乗らせた孤児は約300名と言われています。
浦上養育院は、岩永マキの死後、第2次世界大戦の原爆で全壊しましたが、その後再建されています。
池上雪枝(日本初の児童自立支援施設)
「感化院」といいますと留岡幸助の「家庭学校」が有名ですね。
池上雪枝は、「家庭学校」よりも前に、「感化院」を作った人物です。
☆池上雪枝のキーワード☆
- 池上感化院
- 日本初の感化院(現在の児童自立支援施設)
池上雪枝は大阪の自宅に「池上感化院」を設立。
これが、日本で初めての感化院といわれています。
語呂合わせはこちら!
池の上、初めて感化、雪の枝
(池上雪枝、日本初の感化院)
池上雪江は、日本初の感化院を開いた人物です。
池上雪江が感化院を開いたのは、明治維新後の混乱の時代。
池上雪江は、非行や犯罪など、過ちを犯した若者の救済と再教育を天職と考えていました。
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